バレエって元々どこの踊りなの?ロシアの踊りなの?
バレエの歴史をご存じでしょうか。
バレエは「イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで花開いた」と評されます。その原型であるイタリアの宮廷舞踊からチャイコフスキーの三大バレエ誕生する19世紀までを時系列でまとめてみました。中でも鍵となる人物については、人物伝を補足で記載しています。
バレエ×歴史オタクの私が簡単にわかるよう頑張って書いてみたので、これからバレエを観てみよう、踊ってみようという方の参考になれば幸いです。
15世紀のイタリアで生まれる:あの偉大な芸術家がバレエにも関与
バレエは、ルネッサンス期(15世紀)のイタリアの宮廷内で貴族たちがゆったりとステップを踏む余興ダンスが起源とされています。当時は、いまのように足を高く上げたり、回転したりすることはなく、丈の長いドレスを着た状態で貴族の優雅な所作を見せるものでした。
このころのイタリアでは、貴族の余興に多くの芸術家が協力していました。そのうちの一人が、あのレオナルド・ダ・ヴィンチです。当時ミラノでレオナルドを庇護していたパトロンは、舞台芸術の支援者でもあったため、レオナルドにも協力を依頼します。
1490年に上演された『楽園』という余興ではレオナルドが舞台装置や衣装を制作したとされています。人類史上で最も多才とされるレオナルドが手掛けた舞台というものが気になって仕方ありません。
15世紀末になると、イタリアは両隣の国を支配するハプスブルク家(オーストリアなど)とヴァロワ家(フランス)が激しく争ったイタリア戦争の戦場となり、次第に衰退してしまいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
ルネッサンスのパトロン・大富豪メディチ家が支配するフィレンツェ共和国(現・イタリア)のヴィンチ村生まれ。芸術に限らず、あらゆる学問に精通し、人類史上で「最も多才」との呼び声も高い。ルネッサンス三大巨匠のひとりで、代表作は『モナ・リザ』『最後の晩餐』など。
16~18世紀のフランスで育つ:バレエ大好きなお妃様と王様が庇護
16世紀のヨーロッパは、宗教革命を経験するだけでなく、中世的な封建社会から近代的な主権国家へ変化しつつある激動の時代でした。
前述のイタリア戦争をきっかけにフランスにもイタリアの文化が伝わり、バレエの原型となったダンスについて記述した書物もこのときフランスに多数持ち込まれることになりました。
フランスに宮廷舞踊を持ち込んだお妃
1533年に仏ヴァロワ朝のアンリ2世と結婚したカトリーヌ・ド・メディシスがフランス宮廷にこのダンスを持ちこみ、その後バレエの原型になったダンスはフランスの宮廷で盛んに踊られるようになります
カトリーヌは、ルネッサンスのパトロン・メディチ家の出身で、あらゆる芸術を愛好しており、先進的なイタリア文化をフランスに輸入した立役者とされています。
カトリーヌはフランスの富や力を誇示するため、『ポーランド人のバレエ』や『王妃のバレエ・コミック』などといった最初期のバレエ作品を余興として上演させました。いずれもイタリア人のボージョワイユーが振付を担当しています。
カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)
ルネッサンスのパトロン・大富豪メディチ家の生まれで、仏ヴァロワ朝のアンリ2世の妃。当時のフランスはカトリックとプロテスタントの新旧キリスト教徒の対立が激化していた。熱心なカトリック教徒だったカトリーヌは、数千人ものプロテスタントを虐殺した事件(サン・バルテルミの虐殺)の首謀者ともされる。
バレエを体系化させた太陽王
17世紀になると、舞踊だけではなく、詩、演劇、音楽などを織り交ぜた宮廷のバレエ作品が多く上演されるようになりました。このころになるとバレエの所作は、王侯貴族の日常的な礼儀作法として定着していました。
ルイ14世は、ヴァロワ朝が滅亡した後に成立したブルボン朝の最盛期を築き、いまでも「太陽王」と呼ばれる偉大な君主です。実は、このルイ14世は、自らもバレエダンサーでした。7歳からバレエを習い始めたのち13歳で舞台デビューし、31歳で引退するまで数多のバレエ作品に出演しています。歴史上の人物で一番バレエ大好きな方はこの方かもしれません。
その後、ルイ14世は「王立舞踊アカデミー」および「王立音楽アカデミー」を設立し、バレエ理論の確立とダンサーの教育を行わせることにしました。これらが、現在のパリ・オペラ座バレエの起源です。このころから宮廷から劇場へと舞台が移り始めます。
この「王立舞踏アカデミー」で監督を務めたピエール・ポージャンは、ルイ14世のバレエ教師でもあり、「5つの足のポジション」などバレエの体系化を進めました。このように、フランスでバレエは体系化されたため、バレエ用語はフランス語なんですよね。
ルイ14世(1638-1715)
仏ブルボン朝の君主(3代目)。カトリーヌの娘・マルグリットと結婚した、ブルボン朝初代のアンリ4世の孫。4歳で即位後、72年に渡りフランスを統治し、王権神授説を掲げて絶対王政の最盛期を築いた。各国に侵略戦争を仕掛け、領土を拡張。一方で、莫大な戦費やヴェルサイユ宮殿造営などで財政を困窮させ、後世のフランス革命の引き金を残してこの世を去った。
フランス革命と「ロマンティック・バレエ」の誕生
18世紀後半にフランス革命が起きると、旧体制に反抗してエキゾチスムや神秘主義を好むロマン主義が流行するようになり、バレエでも「ロマンティックバレエ」が誕生します。
有名どころでは『ジゼル』『ラ・シルフィード』など、ようやく現代でも見聞きしたことのあるような作品が登場しはじめます。
ロマン主義はエキゾチスムや神秘主義を好むと説明しましたが、いずれも異国情緒があふれていて、かつ妖精などが登場する作品ですよね。『パ・ド・カトル』で有名なタリオーニは、この『ラ・シルフィード』で、長い丈のチュチュを着てつま先立ちで踊り、この世のものではない「妖精」の動きを表現しました。
このころになると、貧しい女性が身を立てるためにバレエをやっていたため、バレエダンサーは蔑まれる存在であり、パトロンたちから性の対象、すなわち娼婦として扱われるようになっていました。19世紀後半になると、バレエの低俗がますます進み、ロマン主義も廃れ始め、1873年のパリ・オペラ座の火災を機にフランスのバレエは衰退の一途をたどります。
19世紀のロシアで花開く:三大バレエを生み出した名コンビ登場
ロシアは、17世紀にピョートル大帝が西欧化政策を進めてきたころから、国力を向上させるためにヨーロッパの文化を積極的に取り入れてきました。
ロシアは、フランスの宮廷バレエを取り入れて、18世紀にはバレエ学校を創立していますが、19世紀まで圧倒的なバレエ後進国でした。
フランス人振付家マリウス・プティパと「クラシック・バレエ」の誕生
フランスでロマンティック・バレエが廃れていた19世紀後半、後進国であるロシアではロマンティック・バレエが踊り続けらていました。
フランス人のマリウス・プティパは、1847年にロシア・サンクトペテルブルクに渡り、その後1869年から1903年まで30年あまりサンクトペテルブルクの帝室劇場(現・マリインスキーバレエ)のバレエマスターを務めました。
プティパは、この間に『眠れる森の美女』『白鳥の湖』など新たな作品を多く創作したほか、ロマンティック・バレエの諸作品も改訂を加えて上演を続けました。昨今の古典バレエ作品のほぼすべてを手掛けているといっても過言ではありません。
プティパのバレエは様式美が重視されたもので、「クラシックバレエ」と呼ばれています。男女2人で踊るグラン・パ・ド・ドゥなどの構成が成立したのもこの時です。
また、クラシックバレエでは32回転のグランフェッテなど高度な技術が披露されるようになったため、丈の短いクラシックチュチュが考案され、これが広く普及しました。
こうした功績からプティパは「クラシック・バレエの父」と呼ばれています。バレエを習っていて、プティパ振付の踊りを踊ったことがない人はほとんどいないはずです。踊ったことがない人を探すほうが難しいくらい、今でも浸透しています。
マリウス・プティパ(1818-1910)
仏マルセイユ出身のバレエダンサー・振付家。両親はともに舞台人であり、兄リュシアンも同じくダンサー。仏国内外の劇場でダンサーとして活躍したあと、色恋沙汰をきっかけに外交官と喧嘩したことで指名手配犯となり、ヨーロッパから芸術家を招へいしていたロシアへ渡る。30年以上にわたり帝室帝室劇場(現・マリインスキーバレエ)の首席バレエマスターを務めた。
チャイコフスキー三大バレエの誕生
1886年にサンクトペテルブルクの帝室劇場の総裁にフセヴォロジスキーが就任し、様々な改革を行いました。バレエ音楽の作曲をチャイコフスキーに依頼したのもフセヴォロジスキー総裁です。
チャイコフスキーの功績は、バレエ音楽を踊りの伴奏から音楽のみでも鑑賞できるレベルに高めたこととされています。バレエを見たことがない方でも必ず耳にしたことがあるはずです。
プティパとチャイコフスキーの協業によって生まれた『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』は「三大バレエ」と呼ばれ、今でもバレエ作品の金字塔として上演されて続けています。
ちなみに、私はどの作品の踊りも踊ったことがありますし、どの作品もすべて複数回以上観ています。
ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)
露ウラル地方ヴォトキンスク出身の作曲家。当時の首都・サンクトペテルブルクの法律学校を卒業し、文官として勤めるが、20歳を過ぎてから友人の紹介で本格的な音楽教育を受ける。その後、音楽講師へ転身し、三大バレエ「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」をはじめ、誰もが一度は耳にしたことがある有名な楽曲を多く残す。
まとめ
「イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで花開いた」バレエの歴史についてまとめてきました。バレエも時の有力者や君主、そして事件の影響を受けながらも形を変えて発展してきました。
これからバレエを観てみよう、踊ってみようという方の参考になれば幸いです。
20世紀以降のモダンバレエまで言及したかったのですが、長すぎるのでこれはまた次回!
バレエの歴史について、もっと詳しく知りたい方に是非おすすめしたい書籍です。
本記事は、初心者の方でもわかるようにバレエの歴史をかなり端折ってまとめていますが、まだまだ情報量が少ないと思っています。
ただし、本書は高校の科目である「世界史B」程度の世界史の知識がないと読むのが苦しいかもしれません。世界史が好きで、バレエも好きな方には最高の一冊です。はい、私のことですね。
※参考文献等
<書籍>
・木村 靖二(編), 岸本 美緒(編), 小松 久男(編)(2017年)『詳説世界史研究』山川出版社
・海野敏(2023年)『バレエの世界史 美を追求する舞踊の600年』中央公論新社
・村山久美子 (著), 阿部昇吉 (編集)(2023年)『深く知るロシア・バレエ史』
<WEBページ>
・「バレエ」(2023年11月7日 (火) 11:52 UTC版)日本語版Wikipedia
・「Ballet」( 7 October 2023, at 03:57 UTC版)英語版Wikipedia
・「マリウス・プティパ」(2023年10月15日 (日) 06:17UTC版)日本語版Wikipedia
※画像引用について
本記事に掲載している画像はすべてWikipediaに掲載されたパブリックドメイン画像です。