ロシア文学って暗いよね──。これは、私がかつてロシア語を勉強していた話やロシアに住んでいた話をするとよく言われることです。
たしかにそのとおりで、気分が沈みがちなロシア文学。個人的にはまったく馬が合わず、私にとって文学の講義は睡眠時間でした。(ごめんなさい)
しかしながら、映画や舞台、バレエ作品でお馴染みのものも多数あることから、こんな私でも最低限の教養としてドストエフスキー、トルストイなどの定番ものはひと通り読んでいます。
今回は、「ロシア文学って暗いよね」に対して思うこと、現地に住んでみて感じたことをまとめました。
ロシア文学は暗くて、重い?
まず、話が「暗い」傾向があるのは間違いないと思います。
例えば、バレエやオペラなどでロシア文学が原作となる作品は、詩人プーシキンが著した『エフゲニー・オネーギン』。19世紀のサンクトペテルブルクで「苦悩」する青年貴族オネーギンの揺れ動く感情を描きます。とにかくこの話も辛い。
日本では特に有名なドストエフスキー作品。特に名作『罪と罰』は、かの名作漫画『デスノート』のような世界観のもとで繰り広げられる心理戦が特徴です。
『罪と罰』の主人公は、まさに19世紀帝政ロシア期の夜神月そのもの。危険な思想を持つ主人公は「選ばれし者であれば、社会のために道徳を踏み外してもよい」として「正当化」された殺人を犯します。
こうした暗く重厚な作品が比較的多いのはなぜなのか。現地に行ってわかったことがあります。
「いきなり小説で読むのは辛い」という方にお勧めなのは、バレエ『オネーギン』。台詞がなくても「話がわかる」ドラマティックバレエの傑作。
何度も『罪と罰』を例示している理由は、いわばロシア版『デスノート』であるから。日本人にとっては話が理解しやすい作品のひとつです。長いけど!!!!
実際に暮らしてみてわかったこと。モスクワでの日々はひたすら「悶々」
私は、約10年前に1~7月の約半年間、ロシア・モスクワに滞在していました。
現地で暮らしてわかったのは、日照時間が少ない極寒の日々は人の心を憂鬱にさせること。灰色の世界に閉じ込められている気分になってしまうこと。
常に薄暗いから気が晴れない。何でも悲観的に考えてしまう。そして室内に引きこもって延々と考え事をする。それは私も同じでした。
近代ロシア文学の名作が多数誕生した全盛期は19世紀。帝政ロシア期であり、この時代の首都はモスクワよりさらに緯度が高いサンクトペテルブルク。文学に登場する舞台はもっともっと気候が激しいはずです。
この写真は、モスクワ市街地の昼間の写真です。なかなか晴れない梅雨の憂鬱に近いものがあるのではないでしょうか。
薄暗い寒空の中、室内に引きこもってひとりで考え事をするようになると、考えが巡りに巡って「人間の本質」といった哲学の領域に踏み込みます。
考えることが娯楽になりうるのかもしれませんね。私がそうでした。
ロシア文学ゆかりの地に聖地巡礼?
この写真は、『罪と罰』にて主人公が自首を覚悟する、サンクトペテルブルクのセンナヤ広場。原作ファンにとっては欠かせない、まさに聖地のひとつです。
この写真を撮影した季節は・・・初夏。清々しい季節のはずなのに、どこか心が晴れない。しかも、緯度が非常に高いため、初夏の時期は白夜。いつまでもうっすら明るい夜は人々を不眠症にさせます。
お次は、文豪トルストイが生涯を過ごした、モスクワ近郊のヤースナヤ・ポリャーナ。ロシア語の意味は「明るい草原」・・・どこが「明るい」んだか。これも昼間です。
気候と国民性には相関があることを肌で実感
わかりきったことかもしれません。現地に行って肌で感じたことは、気候と国民性には相関があること。もちろん文化や歴史、宗教にも影響されますが、「気候」はかなり大きいのではないでしょうか。
それこそ『罪と罰』の主人公が温暖な地域の苦学生だったら、開放的な性格の優等生だったかもしれません。外出の機会も増え、人と触れ合うことで、思想が先鋭化することもなかった…かもしれません。
おまけ:ゴーゴリ先生の楽しい話もあるんだぜ!
ロシア文学には暗い話しかないのか─と思われたかもしれません。ゴーゴリは、皮肉やユーモアを交えた読みやすい短編小説を多く著しています。
代表作は『鼻』。ある朝、理髪師が朝食を食べていると、パンの中から人間の鼻が出て来てきて・・・といったぶっ飛びストーリー。
ネタバレはここまでにしましょう。たまには憂鬱を吹き飛ばすぶっ飛んだお話もないとね!
ゴーゴリの代表作『鼻』、『外套』、『査察官』の3篇を収録した豪華な文庫本。どれも短編で初心者にも読みやすいです。楽しくサクッと3篇読めちゃいますよ。